1. 最適厨房ホーム
  2. オーナーシェフに聞く「独立開業への道」
  3. 徹底インタビュー/私のお店が出来上がるまで (8)

オーナーシェフに聞く「独立開業への道」

徹底インタビュー/私のお店が出来上がるまで ⑧

ジョエル・ロブション氏に21年間仕え、
ミシュランで3つ星を9年間維持した者として、
「独立開業の新しいモデル」になりたいと思います。

レストラン「Nabeno-Ism ナベノ-イズム」
エグゼクティブシェフ CEO 渡辺雄一郎 氏
1988年に大阪あべの辻調理師専門学校を卒業後、同校フランス校へ進学し、同年秋よりフランスの星付きレストランで研修する。東京・リヨンの有名店で部門シェフを務めた後、1994年のシャトーレストラン「タイユヴァン・ロブション」のオープンに携わり、1996年にスー・シェフに就任。1998年、シャトーレストラン1F「カフェ・フランセ」のシェフに就任し、山本益博氏のガイドブック「ダイブル」でスリーダイヤモンド獲得する。
2004年12月、シャトーレストラン「ジョエル・ロブション」のエグゼクティブシェフに就任。ミシュラン東京(2008)で3ツ星を獲得以来、2015年版まで9年間連続して3ツ星を獲得する。2015年10月、21年間勤めたロブショングループを勇退し、2016年7月に東京浅草駒形の隅田川ほとりにて、レストランNabeno-Ismナベノ-イズムを開業。

Part1 「タイユヴァン・ロブション」オープンの衝撃

ジョエル・ロブション氏のお店で食べた料理に魅了され、
その秘密を知りたいと、26歳で一大決心して応募。

──修行時代から、「タイユヴァン・ロブション」入店までの経緯を聞かせてください。

渡辺

料理好きで食にこだわりのあった両親の影響で、小さい頃から料理に強い興味をもっていました。小学校時代にはテレビの「料理天国」に夢中になり、卒業文集に「フレンチのシェフになりたい」と書いたほどです。進学時には、当時“料理界の東大”と言われた大阪あべの辻調理師専門学校に迷わず進学し、そのままフランス校へ。フランス語と基礎調理を学んだ後、2つの星付きレストランとビストロで修行しました。

最初は、リヨンから9時間もかかるサントロペという南仏高級リゾートの星付きレストランでした。日本人は私一人だけ。ストレスがかかる厳しい環境でしたが、本場での経験は非常に衝撃的で、食材の仕入れや片付け、賄い料理などすべてポジティブに取り組みました。

その後4年ほど、東京とリヨンのレストランに勤務し、部門シェフを務めていたのですが、ある日「タイユヴァン・ロブション」が東京・恵比寿に出店するという噂を聞いたのです。大衝撃でした。フランス校時代に、当時ロブション氏がオーナーだった「Jaminジャマン」で食べた料理のテクスチャー・味・香りのすべてに魅了され、その秘密を知りたいと心から願ったことを思い出しました。

当時私は26歳で、結婚したばかりでしたが、妻に「どうしても挑戦したい。しなければ一生悔いが残る」と説得しました。辻調の恩師にも相談し、面接を受けることになりましたが、全国から届いた履歴書が30cmもテーブルに積み上げられていたことをよく覚えています。幸運にも肉料理の部門シェフとして採用していただきました。

開業時には、フランスからロブションチームのシェフが5〜6人来ていました。パリ本店とまったく同じ料理をお出しするために、全員が本気で、非常に厳しく指導されました。ロブション氏も当時まだ50歳前で、鬼の形相で怒られました。毎朝5時に起き、6時半には厨房に立っていました。深夜お店が終わると、家のベッドで倒れ込むように眠りました。当時の仲間は今全国で活躍していますが、みなモチベーションは極めて高く、結束力も堅かった。仲間がいたから、あの厳しさに耐えられたのだと思います。

スカイツリーを臨む隅田川沿いに建つ4階建ての「ナベノ-イズム」。水辺の魅力向上と地域活性化を目的とした東京都の「かわてらす」プロジェクトにも参加しています。

Part2 初年度のミシュラン東京で、3ツ星を獲得

「カフェ・フランセ」の料理長として大きなやりがい。
ミシュラン東京の発刊開始を知り、独立開業を延期。

──その後「ジョエル・ロブション」の総料理長に就任し、ミシュラン東京で3ツ星を獲得されます。たいへんなご苦労があったのではないでしょうか。

渡辺

1994年の入店から3年間、2階のメインダイニングでスーシェフ(副料理長)を務めた後、30歳の時に1階の「カフェ・フランセ」の料理長に就任しました。その料理長としての7年間は、私にとってかけがえのない経験で、忘れられない店になりました。

「カフェ・フランセ」は、世界三大珍味などの高級食材は使用不可で、ネオビストロをコンセプトにしていました。ここで自分のアイデアを絞り出す日々が続きました。「牛頬肉のヱビスビール煮込み」などのスペシャリティも、こうした工夫から生み出したものです。当時来店いただいた山本益博さんからも、高く評価していただき、またロブション氏も来日した時には必ずランチを食べに来てくれました。

2004年に「ジョエル・ロブション」に経営体制が変わり、エグゼクティブシェフ(総料理長)に就任しました。36歳の時で、ロブション氏直々の要請でした。フランス文化を継承し、ロブションの味を守ることに、使命感をもって取り組みました。当時日本で初めて20皿のコース料理(3万5000円)をお出ししましたが、新生ロブションの調理部門を預かる責任が重くのしかかり、最初の1ヵ月は実はほとんど記憶がありません。それほど必死だったのです。

「ジョエル・ロブション」は、実は3年で退くつもりでした。他では得難い経験もしたし、若い世代に引き継いでいかなければいけないという思いもあった。ところが、2007年にミシュラン東京が始まったのです。ミシュラン東京が発刊される初年度に、ロブションさんに恥をかかせるわけにはいかない、と退職は延期。2ツ星に終わったら、その時は総料理長を辞する覚悟でした。結果がわかった時は嬉しくて、当時ラトリエ ド ジョエル・ロブションのシェフだった飯塚氏(現レストラン リューズ オーナーシェフ)と一緒に男泣きしました。

最新の調理機器を設置した「ナベノ-イズム」の厨房。ガス火を中心に複数の熱源を取り入れたハイブリッド厨房から、新しいフランス料理が生まれています。

Part3 自分の信用を元にした、新しい独立開業のモデルに

「フランス食文化と地域文化の融合」をコンセプトに、
駒形の地で、日本人による王道のフランス料理に挑戦。

──独立する時、ロブション氏からはどんな声をかけてもらったのでしょうか。

渡辺

ミシュラン東京では、それ以降、9年連続で3ツ星の評価をいただきました。そして気が付くと、ロブション氏のもとで21年間働いていました。50歳を前にして、ロブションを卒業しよう、後進に道を託そうと考えました。

最後にロブション氏に直接話をする時間をいただき、店内のバーカウンターに2人で腰掛けると、ロブション氏はすでに分かっていたのでしょう、「全部言いなさい」と話を促しました。事の経緯と自分の思いを伝えた後、「卒業させてください」と願い出ました。

ロブション氏は独立について本当に心配してくださったのか、「資金は? 売上計画は? メニューは? 場所は?」と、いろいろと聞いてきました。すべてを正直に答えると、大きく頷いたあと、「20年間ありがとう」と言って頭を下げ、「ブラボー!ワタナベ!!」と叫んでくれました。

2016年7月に東京駒形でオープンした「ナベノ-イズム」は、「フランス食文化と地域文化の融合」をコンセプトにしています。王道のフランス料理を学んだ料理人が、駒形の地域文化の中でどんな料理を作るか、という新たな挑戦です。地元の蕎麦粉をフランス料理に仕上げ、アミューズには地元の雷おこしを素材として使う。日本人にしかできないフランス料理を目指していきます。

「ナベノ-イズム」は、4階建てのビル全体がレストランです。開業にあたっては100%自分が出資したわけではなく、土地を提供してくれた出資者がいて、その以外の開店資金を自分で調達し返済するという形をとっています。大きな組織のなかで確実に経験を積み、結果を残し続ければ、協力者が必ず現れるものです。自分の信用を元にした新しい独立開業のモデルとして、このスタイルを世の中に示したいと考えています。

店のエントランスには、日本文化を象徴する七宝焼でフランス国旗をモチーフとした看板を掲げました。そして直筆で「Parce que je suis japonais(自分は日本人だから)」と、自分の決意と思いを込めて自身のサインを刻みました。

地下鉄浅草駅・蔵前駅から徒歩5分、ほぼ中間地点に4階建ての一軒家レストラン「ナベノ-イズム」があります。下町の風情のなかのモダンな外観が目を引きます。
レストラン「Nabeno-Ism ナベノ-イズム」
[所在地]
東京都台東区駒形2-1-17
[TEL]
03-5246-4056
[URL]
http://nabeno-ism.tokyo
[営業時間]
12:00〜15:00(13:30LO)
18:00〜23:00(21:00LO ※日曜日はランチのみ)
[定休日]
月、第4火
[コース]
昼10,000円 夜20,000円(税込・サービス料10%別途)
[席数]
26席

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