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オーナーシェフに聞く「独立開業への道」

徹底インタビュー/私のお店が出来上がるまで ⑩

銀座マキシム・ド・パリの女性初の
メートル・ド・テルの経験をもとに、
お客さまに正直なお店を作っていきます。

フランス料理「レストラン ぷーれ」
オーナー 福岡佑香里 氏
1982年、神奈川県生まれ。東京誠心調理師専門学校の在学時に、全国調理技術コンクール(グルメピック)で最優秀賞を受賞、またFFCC主催コミコンクールでは優勝をはたす。卒業後、MIKUNI系列のグランカフェ新橋ミクニのオープニングスタッフとして就職。21歳の時にはフランスへ留学し、南仏のオーベルジュ・デ・ザドレで研修を積む。
その後、メゾン・バルサック(丸の内)、母校での教員(主にレストランサービス指導)を経て、27歳の時に銀座の名店マキシム・ド・パリへコミ・ド・ラン(給仕補佐)として入社。3年後には同店で女性初のメートル・ド・テル(給仕長)となる。
2017年3月、母校のサービス講師だった福岡俊和氏と結婚。同年10月にフランス料理「レストランぷーれ」をグランドオープン。

Part1 仏国留学で学んだ“自分から動く”大切さ

「サービス」の素晴らしさへの気付き、
そして南仏で学んだ主体的な取り組み姿勢。

──なぜ「サービス」の仕事を目指すことになったのか、その理由を教えてください。

福岡

料理好きだった母の影響もあり、高校卒業後は調理師になるつもりで東京誠心調理師専門学校に進みました。その学校の授業で、初めて「サービス」という仕事の素晴らしさを知らされたのです。当時はオーナーシェフの店が流行していて、私も食べ歩きをしたのですが、料理がいくら美味しくてもサービスレベルが低いとお客さまの印象は悪くなる。レストランは、料理人とサービスマンという両輪が噛み合ないとうまく回らないということに気が付きました。

厨房に入れば、大きくて重いスープ鍋を運ぶような、私が苦手な力仕事もあります。それよりも、料理人の思いをしっかりとお客さまにお伝えし、暖かいおもてなしをすることが、自分に合っているのではないか。フランベや切り分けなど、調理の仕上げをテーブルで行なう際に、調理師としての勉強も活かせるのではないかと考えました。

──その後、フランスへ研修留学されていますが、そこで学んだことは何でしょうか。

福岡

21歳の時に3ヵ月間、南仏のオーベルジュ・デ・ザドレで研修を受けました。現在フランスの三ツ星レストランであるピラミッドでスーシェフをされている、クリスチャン・ネ師の元での修行でした。日本人の研修生は初めてで、しかも女性ということで、苦労はありましたね。

やはり文化の違いや言葉の壁に、とても悩まされました。それまで教えられたこと、言われたことを、精一杯やってはいたのですが、他のスタッフとのコミュニケーションは疎遠なままでした。

仕事に少し慣れてきた、ある日のことです。ランチで混雑するお店のなかで、料理を素早く運ぶために、先輩スタッフの背中にぶつかり追い抜く形になりました。その一瞬、自分を見る周囲の視線が変わったことに気が付きました。

そうか、自分を出してもいいんだ。自分をアピールしてもいいんだ。教えられたままに受け身で働くのではなく、自分の判断で主体的に動くことが大切なのだと思い至りました。その時からです、他のスタッフが「これ使って!」「明日一緒に買物に行こう!」と色々と話しかけてくれるようになったのは。

留学時代、日本にはないチップに、自分がもらって良いのかと最初は戸惑いました。

Part2 銀座の名店で女性初のメートル・ド・テルに

思いが通じて憧れの名店に入社、厳しい指導も
乗り越えて、究極のサービスを目指す日々。

──銀座マキシム・ド・パリでは初めての女性サービススタッフだったと聞いています。

福岡

そうですね。銀座マキシム・ド・パリには、それまで女性のスタッフは一人もいませんでした。私が初めてコミ・ド・ラン(給仕補佐)として採用され、女性のメートル・ド・テル(給仕長)も私が最初で最後となりました。

銀座マキシム・ド・パリと出会ったのは、学生時代に就職先を探すために書店でフランス料理店の本を見ていた時です。アールヌーボー調で統一された重厚感あふれる店内の写真を見て、「ここに立ちたい!」と激しく思いました。一目惚れでした。その感動は日増しに強くなり、ぜひとも就職したいという固い志望に変わっていきました。

「レストランぷーれ」のスペシャリテ、ローストチキンを、お客さまの目の前で切り分ける。

ところが、学校の先生に相談すると、「バカなこと言うな!」と一喝されました。当時、同店は就職先としてもすごい人気店で、採用は男性のみ、女性は履歴書も出せない状況でした。

さすがに諦めて、せめて同じ銀座にある他のフランス料理店で働こうと思っていたのですが、何とちょうどその時に同店への応募が可能になったのです。後で聞いたのですが、学生時代にコミコンクールで優勝した時の審査員の一人がマキシムのマネージャーで、それを契機に半年弱の間クロークのアルバイトをしたことがあり、私のことを覚えていてくださったようです。不思議な人のご縁に心から感謝しました。

──銀座マキシム・ド・パリの、女性初のメートル・ド・テルという立場に、重圧はありませんでしたか。

福岡

はい、メートル・ド・テルは、手の届かない存在だと思っていましたし、ずっと憧れていた同店のジャケット姿が、いざ自分の制服になるとあまりの重圧で着ていられず、最初の頃は先輩の目を盗んではタブリエ姿に戻していました。

また、当時のマキシムは全員が男性スタッフで、私が入ることでダイニングの雰囲気が壊れるのではないかと悩んだこともあります。

鶏の形のままに美しく切り分けられた「ローストチキン」。福岡オーナーの技術が光る。

でも、お客さまからお褒めの言葉をいただくこともあり、私がいてもいいんだ、と心を強くしたのを覚えています。入店当初は誰よりも早く出社し、先輩スタッフが来るまでに、お皿やグラスの拭き上げ、ワゴン内のシルバーの補充、清掃など、自分の担当の仕事はすべて終わらせていました。そして「先輩と同じ仕事をさせてください」とお願いしました。指導はとても厳しいものでした。当時の支配人からは、「あの頃はよくトイレで泣いていたね」と笑われたものです。

5年が経ち、いつの間にかサービススタッフで自分が一番長くなっていました。男性にはできないサービスを心がけてきましたが、メートル・ド・テルになれるとは夢にも思ってはいませんでした。

──銀座マキシム・ド・パリは、2015年6月30日に惜しまれながら閉店しました。福岡さんが最後のメートル・ド・テルだったのですね。

福岡

最後の日のことは、よく覚えています。おなじみのお客様で、全テーブルが常時満席でした。マキシムのOBも若いスタッフを連れて来店され、「このフランベは俺がやる」「じゃ、切り分けは僕が…」と、それは賑やかなパーティーのようでした。

白髪のおばあちゃんになっても、この空間に立っていたい、という私の願いは叶いませんでしたが、心の中にサービスマンとしての確実な刻印がきざまれました。深夜の1時30分頃、最後のお客さまをマキシムの格式ある石畳の駐車場で見送り、私の銀座マキシム・ド・パリも終わりました。

Part3 あえてPRはせず、まずは一組のお客さまを大切に

ご主人と二人三脚でお店のコンセプトを構想、
“お客様に嘘をつかない店”を守り抜く。

──2017年3月に結婚されました。ご主人は福岡オーナーにとって、どんな存在でしょうか。

福岡

主人はもともと、私が専門学校時代にサービスの授業を受けた講師です。漠然と料理人の道を考えていた私に、サービスという仕事の素晴らしさを最初に教えてくれました。それから私はずっと主人の後を追いかけてきました。私が今まで就職したお店は、全部主人に相談して決めました。

マキシムが閉店し、その後代官山のパッションでメートル・ド・テルを勤めていましたが、結婚を機に退職しました。この先どうしようか、と迷っていた私に、主人が「お店をやってみる?」と背中を押してくれました。5月から物件探しを始め、7月に出店を決め、10月に「レストランぷーれ」をオープンしました。

主人は出来るだけ外に出て、世の中の動きを情報収集したり、お客さまとの接点や人的ネットワークを広げる役割です。お店はオーナーである私が守る。そんな役割分担をしています。主人は私よりもはるかに知識と経験が豊富なサービスの講師ですが、現場を回すのは私の方が上手ですから(笑)。

「レストランぷーれ」のおしゃれな外観と、マキシム・カラーに改装された店内。

──「レストランぷーれ」のコンセプトを教えてください。

福岡

それも、主人と相談しながら作り上げました。フランスのクラシックで温かな料理をお出ししたい、というコンセプトで一致しました。メニューも住宅街という立地から、お客さまにわかりやすく、一皿でお腹いっぱいになるものにしたい。そんな思いで、新しいシェフと一緒にメニューを考えました。

店鋪施設の設計では、厨房に一番力を入れました。この物件は以前、家庭用の厨房設備で運営するカフェだったのですが、すべて業務用の厨房に改装しました。東京ガスの厨房相談室へ行き、とても的確な助言をいただいたことに感謝しています。内装は、私を育ててくれた銀座マキシム・ド・パリへの敬意から、赤を基調にしたマキシム・カラーに改装しました。

開業は二人の自己資金で。以前の家庭用厨房を、すべて業務用に全面改装し、働きやすい厨房を実現。

「レストランぷーれ」のスペシャリテは、「ローストチキン」です。(“ぷーれ”はフランス語で若鶏の意味) ローストする時にはあえてロースト用の機械を使わず、一羽一羽丁寧に形を整え、何度も油をかけながらオーブンでじっくりと焼き上げています。

「ローストチキン」は、実は料理人にとってもサービスマンにとっても、一番基本となる料理です。表面を傷つけずにしっかりと整形して縛り、皮はパリっと、中はジューシーに焼き上げる料理人の技術と、皮目を壊さず、シェフのテクニックを最大限に生かし美しく切り分けるサービスマンの技術、その両方があって初めて成立する料理なのです。

レストランぷーれのスペシャリテ「ローストチキン」。

──最後に、今後の展望について教えてください。

福岡

常に目標を持つことが大切だと思っています。目標とは、夢ではなく、必ず実現しなければならないものです。一つ実現したら、また次の目標を立てる。そして自分が決めたことは最後までやり通す。それが次の展望を開いていくのではないでしょうか。

主人といつも話していることがあります。それは、お客さまに嘘をつかない店でありたい、ということです。お客さまを大切にし、絶対に裏切らないことを誓っています。開店時もあえてPRはしませんでした。今でもホームページはありません。まずはご来店いただいた一組のお客様に、全力でサービスを提供する。そうすることで、次は孫を連れて来よう、今度は夜主人を連れて来ようと、だんだんお客さまの輪が広がっていきます。そんな思いで、いつもお店に立っています。

サービスの素晴らしさを教えてくれたご主人・福岡俊和さんと。お客さまに正直な店でありたい、と語る。
フランス料理「レストラン ぷーれ」
[所在地]
東京都世田谷区上北沢3-18-7 川口ビル1階
[TEL]
03-6677-6755
[営業時間]
ランチ/11:30〜LO 16:00(ランチブレート・アラカルト)
カフェ/14:00〜LO 16:00
ディナー/18:00〜LO 21:00(アラカルト)
バー/20:00〜LO 22:30
[定休日]
水曜日

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