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オーナーシェフに聞く「独立開業への道」

徹底インタビュー/私のお店が出来上がるまで ⑫

「ブルーノート東京」総料理長の経験と
料理へのひたむきな熱中とこだわりで、
フランス料理の世界を掘り下げてきました。

シェ・シミズ
オーナーシェフ 清水郁夫 氏
1957年、京都府生まれ。1980年代に渡仏し、名店「ル・グラン・ヴェフェール」で研鑽。帰国後、国内のフランス料理の名店にて料理長として腕を振るう。1990年よりフランス料理文化センターの講師を務める。2000年、ブルーノート東京の総料理長に着任。その後、フレンチレストランのメニューを監修。2018年6月、奥沢に自分の名前をつけたお店をオープン。趣味はゴルフ。

Part1 26歳で料理の世界に入る遅いスタート

独学でフランス料理を学び、32歳でFFCC入学、
留学して3店の3つ星レストランで修行。

──料理の世界に入ったのは、26歳の時だったそうですね。

清水

サラリーマンを辞め、友人がやっていたとんかつ屋に入ったのが26歳の時です。学生時代にアルバイトでやった料理の楽しさが忘れられなかったからです。本当はフランス料理がやりたかったのですが、何のツテもありませんでした。それで、片っ端から本を買って、読んで覚えて、という独学でフランス料理を学びました。料理本はシリーズで買うと数十万円もするんです。長い間本のローンが残っていましたね。本の重さで、当時の住居の床が抜けたこともあります。

独学すればするほど、フランス料理への憧れは強くなりました。そんな時、フランス料理文化センター(FFCC)が上級コースの受講生を募集していることを知ったのです。お金をかき集めて入学しました。すでに32歳の時で、私は第1期生として若い料理人たちと一緒に学びました。

FFCCの授業は楽しかったですね。憧れのフランス料理を教えてもらえるのが嬉しくて、朝は一番早く教室へ行きました。料理の知識は独学で頭に入っていましたが、実際に自分で作ってみると、講師の料理とさほど違いがないことがわかり、これは大きな自信になりました。

フランス料理をさらに深く学ぶためにフランスへ留学し、2年間、「ル・グラン・ヴェフェール」を始めとする3店の3つ星レストランで修行しました。言葉の壁はありましたが、友人がいて単語さえわかれば、あとは自然に覚えるものです。その後、東京とフランスの料理店で働きながら、FFCCのフランス料理基礎コースの講師も務めました。自分のフランス料理に確信が持てるようになったのは、その頃のことです。

「シェ・シミズ」の店内。奥沢駅から3分、長いカウンターとテーブル席が2つの、アットホームな雰囲気の店内。壁一面に所狭しと並べられた料理本が目を引く。

Part2 「ブルーノート東京」の総料理長に就任

一流アーティストの音楽に負けない料理を
創意工夫と試行錯誤で作りあげた12年間。

──2001年に「ブルーノート東京」の総料理長に就任し、その後12年間務められました。

清水

私がちょうど40歳の時です。ブルーノート東京は、世界のトップアーティストの生演奏を聴きながらフランス料理を楽しんでいただくジャズクラブです。世界レベルの音楽に負けないような料理をお出しするために、最大限の工夫を凝らしました。

ブルーノート東京は、1回のライブ公演に満席で300名が来場されます。これが1日に2回の完全入れ替え制。料理はお客様向けのものに加えて、出演アーティストの食事、スタッフの賄いも作ります。それを15名のスタッフで回していました。毎日が戦場のような忙しさでしたね。

この店で、私が心がけていたことがあります。それは本物をご提供すること。肉もトリュフも、食材すべて一流のものを使いました。そして、オードブル、魚、肉、デザート、時にはパンや麺類まで、冷凍食品や出来合いのものは一切使わずに、自作しました。ブルーノート東京は、それが出来るお店でもあったわけです。

当時、料理はチームで作るものだと考えていました。若いスタッフに、豊富な食材を知ってほしい、最高の技術を覚えてほしい、本物の体験をしてほしい、常にそう考えていました。12年間のそうした積み重ねが、ブルーノート東京の基本スタイルになっていったのだと思います。

アーティストのサインがひしめく思い出のシェフコート。オスカー・ピーターソン、ナタリー・コール、ボビー・コールドウェルなど、そうそうたる顔ぶれからの感謝の言葉が並ぶ。

──アーティストとの交流で、清水シェフの料理に変化はありましたか?

清水

ライブ公演するアーティストは、ヨーロッパや米国を始めとして、アフリカ、中南米など全世界から来日されます。いろんな国の料理を研究し、それをフランス料理に応用してメニュー展開しました。自分の引き出しは確実に増えたと思いますね。

また、前回の公演時のメニューは記録として残っていますから、好みも分かります。好みで思い出すのは、サックス奏者のデヴィット・サンボーン氏です。この人は偏食といっていいほどの特殊な好みで、鶏とサーモンしか食べられないのです。しかも油は使えない、塩・胡椒もダメという指定で、スチームしか調理方法が思い浮かびませんでした。野菜を蒸したり、油を使わずに焼いたり、いろんな調理法を試行錯誤したおかげで、自分の調理技術の幅も広がった。最後は白子やきんきも食べていただけるようになりました。

冷凍食品や出来合いのものは使わない。シャルキュトリーやアンチョビ、ドリンクまで自作する。

Part3 フランス料理のアトリエ・工房を目指す

フランス料理に熱中していたら自然と、
料理の奥深い所まで掘り進んでいたという実感。

──60歳で独立し、「シェ・シミズ」をオープンされました。少し遅かったとは思いませんか?

清水

60歳の独立が遅いとは、まったく思いません。確かに、26歳で料理の世界に入り、32歳でFFCCに入学したのは、遠回りだったかもしれません。でも料理の世界でやるべきことは、まだまだいっぱいあります。

「シェ・シミズ」は、フランス料理のアトリエであり、工房である---それをコンセプトにしました。準備期間は約1年。世田谷の東急線沿線を歩いてまわり、以前はバーだった物件を改装しました。

お客さまは、地元の方が多いと思います。昼は日替わりのコース、夜はアラカルトが中心です。10種類以上の旬の野菜を使い、量もしっかり多い料理を、一皿ずつ食べていただいています。出来合いのものを使わず、シャルキュトリーやアンチョビ、ドリンクまで自作する方針は昔のままです。地元のお客さま向けに、FFCCのフランス料理基礎コースのような料理教室もやってみたいと考えています。

──清水シェフのフランス料理は、ものすごく手間がかかっています。なぜそこまでこだわるのでしょうか?

清水

それは、自分が飽きっぽい性格だからでしょうね(笑)。同じ事をずっとやっているのが本当に嫌いなんです。常に新しいことに挑戦していたい。よく、スペシャリティは何ですか、と尋ねられるのですが、ないと答えています。自分にとっては、毎日のメニューがスペシャリティで、季節の食材やその日の仕入れ状況に合わせて、すべての料理が日替わりです。

ですからメニューは四六時中考えています。奥沢の緑あふれる自然の風景や街角の看板を見ていると、インスピレーションでメニューを思い付きます。ギリギリまで考えて、一つ良いアイデアが出れば、そこからチェーン状に次から次へと新しいメニューが浮かんでくるのです。

もちろん、人一倍こだわりはあります。素材にしても、鶏は伊達鶏を使い、野菜やキノコの産地も特定しています。自分が美味しいと思う素材しか使いません。調理方法も、真面目に作ろうと思えば、どうしても時間がかかります。

料理人としてのスタートが遅かったこともあり、周りからは「よく頑張った!」と言われます。「すごいこだわりですね」とも言われる。でも、自分では当たり前のことだと思っています。別に努力したわけではなく、フランス料理が好きで、美味しいフランス料理を作りたいと熱中していたら、自然と料理の奥深い所まで掘り進んでいたというのが実感なのです。

──最後に、独立開業を目指す若い料理人の方へ、メッセージをお願いします。

清水

料理人は、歳をとるとだんだん居場所がなくなるものです。ですから、早く自分の居場所を作ることを心がけた方がよい。お店の名前ではなく、自分の名前でお客さまにきていただけることを目標にすべきだと思います。

私にもこれから、フランス料理で焼き鳥を表現する、という目標があります。醤油に頼らない、フランス料理としての焼き鳥。それをプロデュースしてみたい。老け込むのは、まだ早いですね(笑)。

シェ・シミズ
[所在地]
東京都世田谷区奥沢3-36-11 キャッスル奥沢1F
[TEL]
03-6421-8233
[営業時間]
ランチ 11:30〜14:00(L.O.)/ディナー 18:00〜21:00(L.O.)
[定休日]
月曜日・他月2回不定休
[座席]
カウンター8席、テーブル4席(6席)
[URL]
https://chez-shimizu.jp

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