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オーナーシェフに聞く「独立開業への道」

徹底インタビュー/私のお店が出来上がるまで ⑮

地産地消で、理想のフレンチを。
地域に愛され、ワクワクを提供できるお店に。

レストラン ペタル ドゥ サクラ
オーナーシェフ 難波秀行 氏
1974年岡山県津山市生まれ。18歳から広島、東京のレストランで修業。2001年渡仏。一時帰国し「ラ・ロシェル南青山」の石井シェフに師事し、再び渡仏。ブルターニュ地方の2つ星「L’hôtel de Carantec restaurant Patrick Jeffroy」パリの1つ星「e.t.c.」、パリの3つ星「Le Pavillon LEDOYEN」で部門シェフ等を務める。2009年帰国。三國清三シェフに出会い、「ミクニ ヨコハマ」の支配人兼料理長を4年間務める。2014年12月オーナーシェフとして「ペタル ドゥ サクラ」を開業。講演・料理教室等で食育の活動も行う。
「濱の料理人」の副会長、「NPO法人 横浜ガストロノミ協議会」「クラブアトラス」「トック・ブランシュ国際倶楽部」 のメンバー。

Part1 地元の食材や文化に誇りを持つ

フレンチへのあこがれが募り、東京で修行。
フランスでは、土地の食文化にどっぷりと浸かる。

──料理人を志したきっかけを教えてください。

難波

岡山にある実家が喫茶店を営んでいたので、いずれは家業を継ぎたいと思っていました。父にその思いを伝えると、「継ぐ前に、よそ様の釜の飯を食ってこい」と言われまして。それで高校卒業後は広島に出て、喫茶店チェーンで働き始めました。それから、料理やスイーツも提供できるようにならないといけないと考え、ホテルの洋食部門に転職することに。実家の喫茶店の手伝いで、子どもの頃から調理器具を使うことには慣れていました。

──フレンチとの出会いを教えてください。

難波

職場の先輩にフレンチレストランに連れて行ってもらった時、その特別な空間やおしゃれな料理に一目ぼれしました。ちょうどその頃、テレビ番組「料理の鉄人」が話題になっていて、出演されていた坂井シェフ(後の師匠)に憧れてもいました。フレンチへの思いが募り、「東京でフレンチの勉強がしたいです」と料理長にお願いしたところ、日比谷のレストランを紹介していただくことができました。

──フレンチレストランでは、どのような経験をされましたか?

難波

調理師専門学校を出ている人や、フランスで修行してきた人がたくさんいて、レベルの差にがく然としました。まったく使い物にならず、一年ほどはホールスタッフをしていました。ただ、接客マナーや配膳のタイミングを学んだり、お客さまの食事がどのように進んでいくかを目の当たりにすることができたのは、良い経験になりましたね。ようやくキッチンに入ることができるようになっても、いちいち料理を教えてもらえないので、トイレに行くふりをしてこっそりメモを取ったり、休日には料理の専門書を探しに古本屋を回ったりしていました。

オープニングスタッフを募集しているということで、次に青山のレストランに移りました。そこではシェフをはじめ、最高級のレストランと名高い「ジョエル・ロブション」出身のメンバーがいて、調理理論をきちんと教えてくれたんです。今まで詰め込んできた知識がつながりはじめ、なぜそのような方法だとうまくいくのか、失敗するのかが分かるようになり、料理もイメージした通りに仕上がるようになりました。次第に休みの人の代わりを務めるようになって、前菜や魚、肉、スイーツとさまざまなポジションを経験することができました。最終的には、ソース作りを任されるまでに。

そのような経験を積むうちに、フランスで修行したいという気持ちが強くなっていきました。シェフに相談したところ、いろんな人のつてで、ブルターニュ地方の2つ星「L’hôtel de Carantec restaurant Patrick Jeffroy」を紹介してもらうことができました。

初めてのお客さまも安心して来店できるよう、入り口は大きな窓ガラスのドアに。

──フランスではどのような経験をされましたか?

難波

仕事のやり方、調理技術にそんなに違いはありませんでした。ただ、シェフのジェフロワ氏が生粋のブルターニュ人で、土地の食材や文化にすごい誇りを持っているのを感じた時に、「ああ、本場に来たんだな」という感覚が芽生えましたね。日本では、シェフや本をまねて調理していましたが、それぞれの料理が生まれるバックグラウンドまでは知りませんでした。その土地の気候風土で育つ食材を生かして料理を構成する「キュイジーヌ テロワール」の考えを、すごく理解することができました。

──いったん帰国した後、再び渡仏されましたね。

難波

フランスで一年が経った頃、家庭の事情もあって帰国することに。帰国後は「ラ・ロシェル南青山」の石井シェフに師事することができました。もう一度フランスに行きたいという思いはずっとあり、石井シェフの下で磨いた技術をジェフロワシェフに見せたくもありました。5年後に再び渡仏した時には、「L’hôtel de Carantec restaurant Patrick Jeffroy」の他、パリの1つ星「e.t.c.」や3つ星「Le Pavillon LEDOYEN」でも部門シェフなどを務めることができました。

──どのような経緯で「ミクニ ヨコハマ」の支配人兼料理長になられたんですか?

難波

石井シェフの下で再び働きたかったのですが空きがなく、三國シェフを紹介していただくことができました。「ミクニ ヨコハマ」を手伝わせていただくことになったのですが、その当時のメンバーが一新されることになったんです。そこで私が料理長だけでなく、支配人の役割を三國シェフから仰せつかりました。戸惑いましたが、「チャンスは勝ち取れ」という石井シェフの教えもあり、お引き受けすることに。独立したい気持ちはずっとあり、経営側の意識も持ちながらそれまで取り組んできたので、実際に店の経営に4年間携わることができたのは良かったです。

店に入って少し進むと視界が一気に開け、桜の木が出迎えてくれる。

Part2 地産地消を基に、自分の理想郷を築く

旬の食材がすぐに手に入る環境で、
薬膳料理を提供する。

──独立開業に向けた動きについて教えてください。

難波

実家の喫茶店が市の区画整備のために閉店したことをきっかけに、いよいよ独立開業することに。「ミクニ ヨコハマ」では、三國シェフが持つ地産地消の考えから、横浜を中心とする神奈川県産の食材に目を向けていました。その中で地域の生産者の方々との付き合いが広がり、相鉄線沿線にある農家さんのところにも通っていました。この地域に店を構えれば、毎日農家さんのところにも行けるし、ジェフロワシェフが実践されていたキュイジーヌ テロワールを横浜でかなえることができるのではないかと思ったんです。

またご縁があって、地域活性化のために沿線をブランディング化するプロジェクトを進める相模鉄道(株)から、弥生台駅前の土地を紹介していただくことができました。下見に訪れた時には、この場所に桜が咲いていました。実家の喫茶店が「喫茶サクラ」という名前で、うちの家紋も桜だったこともあって、運命を感じましたね。それで店名も「ペタル ドゥ サクラ」(桜の花びら)にしました。さまざまな人のつながりのおかげで、この場所に巡り合えたことはとても感謝しています。

導線に配慮した、ゆとりのある厨房。照明の位置まで、難波シェフがデザインした。

──お店づくりでこだわった点は?

難波

「ミクニ ヨコハマ」で、私の料理を召し上がっていたお客さまは、ここに私の理想郷を築くと思うわけですよね。厨房も規模は違えど「ミクニ ヨコハマ」で使用していた設備をそろえ、これまでの料理以上のものを提供しなくては独立する意味がありません。設計士からの提案もあったのですが、客席や厨房のデザインは私が行いました。外からお客さまの顔が見えないように、桜の木が並ぶ鉄道の線路側に客席を設置。店に入ってバーカウンターを抜けると、ぱっと目の前の景色が広がるような開放感のあるレイアウトにしました。また、お客さまが来店するのを確認できるように、そして調理する様子が外から少し見えるように厨房には小窓を設けています。

──薬膳料理にこだわられているのはなぜですか?

難波

薬膳の専門家の方にはメニューの監修などを通じて、「ミクニ ヨコハマ」に勤めていた頃からお世話になっていました。薬膳フレンチと銘打った講座も行っていましたし、地産の旬の食材を生かして料理をつくるという薬膳の基本の考え方が、自分の料理観にも合っていたんです。

開業してから、地元の食材を仕入れるために、毎朝農家さんの元を訪れています。都市型農業で、畑のスペースは小さくても、いろんな場所で多品目を作っている方がたくさんいます。農家ごとに、野菜の情報やこだわりを教えてもらえるのはとても勉強になります。私と同世代の方たちが新しい品種を取り入れてみたり、伝統野菜に着目したりと、さまざまに挑戦されているのは刺激にもなりますよ。

“今、畑にある野菜を料理に”がお店のスタイル。料理を通じて、横浜育ちの旬の野菜のおいしさと新たな一面を伝えている。

Part3 地域に根差し、つながりを広げる

コロナ禍であらためて実感した、
人や地域とのつながりの大切さ。

──地域に根差すために行っていることはありますか?

難波

「喫茶サクラ」と名付けて、コーヒーショップとしてお店を開放する企画を年に2回行っています。実家がかつて喫茶店を営んでいたことなどもお客さまに紹介し、生半可な気持ちで飲食店をしているわけではないと感じ取ってもらえるようにしたいと考えています。また、お客さまの要望で、小さなお子さまを連れて来店できるキッズ&ベビーデイを設けています。キッズ&ベビーデイが、お子さまが大人の社交場に慣れるための機会になればいいですね。お子さまたちが大人になっていく過程で、特別な日をここで大切な人たちと過ごしたいと思ってもらえるようになればうれしいです。

この他、農家さんたちの集まりにも顔を出して出張料理を行ったり、小学校に赴いてテーブルマナーを子どもたちに教えたり。このような活動を通して地域の方々とお会いし、つながりが広がっていくのは楽しいです。

バーカウンターには、地元農家の皆様の写真が並ぶ。

──コロナ禍において、工夫されていることは?

難波

カレーや煮込み料理などのテイクアウトを始めました。店を閉めていた時もテイクアウトだけは行っていて、家族全員分を買っていただいたり、励ましの声もお客さまからたくさん頂戴しました。前売り券のような形で販売していた食事券も、「お店が再開したら食べに来るから」と多くのお客さまに購入いただきました。あらためて、地域の方々に応援されているんだという喜びを感じましたね。

──独立を目指す料理人へのアドバイスをお願いします。

難波

きちんと軸足を立てること。店を経営していると、いろんなことに対応しないといけません。お客さまの要望にお応えすることもそうですし、コロナ禍のように予期せぬ事態に見舞われることも。その時々で、適切かつ迅速にジャッジを下さなければいけないことが多くあります。迷うとスタッフにそれが伝染し、お客さまにも伝わります。でも、軸足があることでブレずに判断することができますから。

私の場合、地元の食材を使って、ずっとこの土地で料理を提供していきたいという思いが軸足になっています。お店を予約してからワクワクしながら当日を迎えていただける、そんな楽しみを提供できるお店でありたいというのが私の願いです。

restaurant pétale de Sakura(レストラン ペタル ドゥ サクラ)
[所在地]
〒245-0008 神奈川県横浜市泉区弥生台5-2
[TEL]
045-443-5876
[営業時間]
Lunch 11:30〜15:00(14:00L.O) Dinner 18:00〜22:00(21:00L.O)
[定休日]
月曜日(要確認)
[URL]
https://petaledesakura.com

※2021年1月29日現在の内容です。

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