厨房談義[第9回] 進化するミクニの厨房 「厨房というフレームにとらわれない独自の厨房観」
「オテル・ドゥ・ミクニ」シェフ
三國清三氏
- PROFILE
- 1954年北海道増毛町に生まれる。15歳で料理人を志し、札幌グランドホテル、帝国ホテルにて修業。1974年駐スイス日本大使館の料理長に就任。ジラルデ、トロワグロ、アラン・シャペル等の三ツ星レストランにて修業を重ね、1983年帰国。1985年東京・四ッ谷に“オテル・ドゥ・ミクニ”を開店。2000年九州・沖縄サミット福岡蔵相会合の総料理長を務める。2003年フランス共和国農事功労章・シュヴァリエを受勲。2004年政府より「立ち上がる農山漁村」有識者会議の9名の有識者の一人に選ばれる。現在、子供の食育活動やスローフード活動も進めている。
四谷の閑静な住宅街の一画にあるオテル・ドゥ・ミクニ。ツタのからまる緑に囲まれたこのレストランが日本を代表するフレンチのシェフ、三國清三氏の舞台です。1985年にオープンし、今年で21周年を迎えました。ここを拠点に都内を始めとして国内に店舗を展開、また世界各地でミクニフェアを開催し高い評価を得ています。世界で活躍される三國氏が腕をふるう厨房とは?既成概念にとらわれない独自の厨房観や炎へのこだわりを語っていただきました。
──外が見えるオープンな厨房ですが、厨房設計の際に特にこだわった点を教えていただけますか? 三國 厨房というと、棚があって鍋がぶら下がっていてサラマンダーなどが設置してあるのが一般的ですが、ウチの厨房にはしゃもじをかけるところもありませんし、棚もありません。何も置いていないシンプルな厨房です。フラットですから清潔さを保ちやすいのです。サラマンダーがないフレンチレストランはたぶんウチくらいじゃないでしょうか。焼き色をつけたり保温するサラマンダーの役割はフライパンで表現しています。また仕込み中も外が見えるよう窓を大きくとっていますし、天井も高くしてみんなが気持ちよく働けるように配慮しました。このスタイルにして10年になりますが、当時のぼくにとってはこれが理想とする厨房でしたね。
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──世界各地で招聘されてミクニフェアを開催なさっていますが、思い出に残る厨房体験がありましたら教えていただけますか?
三國 10年前になりますが、アフリカのケニアのホテルでミクニフェアを開いてくれないか、と招聘された時のことです。ガスもあるし厨房もある。面白そうだから行きましょう、と行ったところ、空港からホテルに向かう途中、トラクターが崖に落ちている。ホテルに着いてわかりましたが、それが我々が使う厨房器具を積んだトラクターだったんです。晩餐会は明日なのに、厨房がない!これは大変だ!と、みんな途方に暮れている。で、私は現地の料理担当のキクイ族に普段何を食べてるの?と聞いたところ、ホロホロ鳥をしめて火を焚いて焼いて食べてる、という。アフリカはホロホロ鳥の原産地なんですね。 ──厨房の概念が変わるようなお話ですね。 三國 なぜそういう発想が生まれたかというと、ぼくは漁村で育ったので、子どもの頃ウニを取って浜で焼いて食べていました。ウニは生でもおいしいですが、焼いたウニはほんとうにうまい! 石を積んで、木を拾って火を焚いて、網をポンとのっけて、そこで焼いて食べた体験。火さえあれば料理できるというのはそういうことです。これもすばらしい厨房なんですよ。今は厨房機器がすごくハイテク化して便利になっていますが、それがないと料理ができないというのは不幸なことです。火を焚いてその火を加減しながら料理をするという原点を忘れてはいけません。 ──三國さんにとってベストの厨房とは?
三國 ぼくが30年前にフランスに行った当時は、ガス厨房は大変めずらしくて、火を焚いて炭をおこして料理をしていた時代です。ほんの30年前ですよ。あのフランスで! 真っ赤に炭をおこすのはとても大変で、慣れないとなかなかうまくおこせない。その炭を空洞になっているオーブンの中に入れます。そうするとオーブンの下で炭が燃えて鉄板が熱くなります。鉄板の真ん中は炎が強いので一番熱くて、そこに鍋を置くとすぐ沸騰し、端にいくほど温度が低くなります。微妙に仕上げたい時は端にもっていく。フランス料理はレシピに火の指定があって、料理によって火加減が全部決まっているので、鍋をまん中に寄せたり端に移動させながら、調整をしていきます。火を加減しながら料理を完成させていく、それはまさに勘です。そういう仕事のやり方をしていた当時のフランス料理はすばらしかったですね。今は火加減って言葉はあまり使いませんが、ぼくは火の加減のできる厨房が一番ベストだと思っています。 |