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厨房談義[第11回] 炎を自在に操る厨房 「先人達の知恵に学び、作り出すこだわりの味」

分とく山 総料理長
野﨑洋光氏

PROFILE
福島県石川郡古殿町生まれ
学校法人石川高等学校卒業後、武蔵野栄養専門学校卒業。東京グランドホテル、八芳園を経て、「とく山」の料理長となる。支店「分とく山」を東京・西麻布に開店し、総料理長となる。東京・南麻布に店を移転し、現在に至る。

地下鉄広尾駅から、日赤病院下に向かって数分。コンクリートのブロックを積み上げたデザイン性の高い建物、それが「分とく山」。総料理長・野﨑洋光氏の味に魅かれて来店するお客さまが多い日本料理の名店です。ガスを始めとして、炭なども駆使して垂涎の料理を生み出す野﨑氏に、料理へのこだわりを語っていただきました。

Subject1 料理人としての出発点

──野﨑さんの原点となった料理は何でしょうか。

店内
外苑西通りに面し、ガラスと木とレンガのモダンな空間。店内からは四季折々の風情を楽しむことができる。野﨑氏のおもてなしの心が随所に感じられる洗練された店内。日本料理の名店である。

野﨑 卵焼きですね。小学校の時、子守りの手伝いに行った隣の家で食べた卵焼きは甘くなくて感動的でした。作り方を聞いて、帰ってからすぐに作ってみました。小麦粉と水を入れてニラが入ったお好み焼き風の卵焼きで、味付けはしょうゆでした。私は子供の頃から甘いものが苦手でしたので、母が作ってくれる卵と砂糖だけで作った甘くて固い卵焼きはどうしても好きになれなかったのです。私は9人兄弟の8番目で、明治生まれの祖父母や書生のいる大家族でしたから、自分の好きなものを私だけに作ってもらうなんてことはできません。卵焼きが自分にも作れるとわかって、食べたいものは自分で作ればいいんだ、と気づいたのです。私が料理人を志すようになったのは、それがきっかけだったように思います。

──その卵焼きは、ガスでお作りになったんですか。

野﨑 そうです。私が育った福島の実家では、ガスが普及する前はかまどを使っていて、外にはわらで燃やすかまどもありました。薪のオーブンや七輪もありました。ごはんとみそ汁はかまどで作って、魚は七輪で焼くという食生活で、みそやしょうゆも作っていました。薪からガスに変わった時は、便利になったなあ、と思ったことを覚えています。薪や炭、わらを燃やす音や火は、私の子供時代の原風景です。

Subject2 生活体験を料理に生かす

──お店ではガスを始めとして、火を自在に扱っていらっしゃいますね。

カウンター
カウンターでは可動式のコンロを使って土鍋をかけたり、寒い日には小鍋に入れた先付けを温めたり。奥に見えるのは炭台。無駄を省いたカウンターからは料理人の潔さが感じられる。

野﨑 カウンターでは可動式のガスコンロを用いて土鍋をかけたりします。どこでも使えるようガスのソケットをいくつもつけてあるので、便利です。炭台もありますので、料理によって使い分けをしています。私の年代で薪や炭、ガスや電気を全部使いこなしている料理人は少ないかもしれません。私は今年54才ですが、10才も上の人のようだと言われるのは、祖父母が明治生まれということもあって、私の育った生活そのものが明治文化だった、その体験からきていると思います。

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