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厨房談義[第12回] お皿はキャンバス 「ガスを駆使して、ひと皿にアートを描く」

リストランテ アルポルト
シェフ 片岡護氏

PROFILE
1948年東京生まれ。1968年日本総領事付きの料理人としてイタリア・ミラノへ渡る。1973年帰国。東京・代官山「小川軒」で修行。1974年南麻布「マリーエ」チーフシェフとなる。1983年西麻布に「リストランテ アルポルト」を開店。オーナーシェフとなる。1988年「リストランテ アルポルト」を改装。その後数々の店のプロデュースや講師としても活躍し、現在に至る。

イタリア料理界の草分け的存在として知られる片岡護氏。「リストランテ アルポルト」のオーナーシェフの他、テレビ出演や本の出版、講演会や料理学校の講師などで幅広く活躍、イタリア料理の普及に貢献されています。イタリア料理との最初の出会いから料理人をめざすことになったきっかけ、理想の厨房機器について語っていただきました。

Subject1 スパゲティ・カルボナーラが原点

──パスタ料理の中でもカルボナーラには思い入れが深いそうですね。

片岡 カルボナーラは、僕がこの仕事を志すきっかけになった料理と言ってもいいかもしれません。僕が中学の時です。当時母は金倉英一さんという外交官宅に勤めていて、そこの奥様が作ってくれたスパゲッティ・カルボナーラを持ち帰ってきてくれました。すっかり冷めていましたが、「世の中にこんなにうまいものがあるのか!」と感動したことをよく覚えています。
金倉さんは第二次世界大戦の戦中・戦後に外交官としてイタリアに駐在され、特にローマが長かったので本場の味をよくご存知でした。帰国後、奥様はどうしたらイタリアの味に近づけるか工夫なさったんでしょうね。今から40年以上前の日本では今のように食材が豊富でなかったので、玉ねぎをあめ色になるまでよく炒めて甘みを出し、薄切りのベーコンを使い、パルメザンチーズの代わりにエダムチーズを使っていました。このカルボナーラを食べた時の感動があったからこそ、今の料理人としての僕があると思っています。

Subject2 料理の世界へ

──工業デザイナーが志望だったとか?

店内
クラシックなテーブルとイス、真っ白いテーブルクロスが落ち着いた華やぎを感じさせる店内。片岡シェフを始めスタッフの方々のあたたかい笑顔が出迎えてくれる。

片岡 そうです。高校では美術部に所属し、工業デザイナーをめざして美大を受験しましたが失敗。ちょうどその頃、金倉さんがミラノの総領事館に赴任されることになりまして、「料理人としてミラノに一緒にこないか」とお誘いを受けたのです。普段からお世話になって一緒に食事をする中で、僕が味に対する感性が鋭いという印象を持っていただいていたようです。領事館で働くにあたって日本料理は必至ですから、日本料理の「つきじ田村」で3ヶ月研修をさせてもらい、イタリアに渡ったことがきっかけでこの世界に入りました。
本場イタリアでパスタを食べた時、中学の時に初めて食べた懐かしいカルボナーラの味が思い出され、イタリア料理を学ぼうという気持ちにつながりましたね。

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