オーナーシェフに聞く「独立開業への道」
徹底インタビュー/私のお店が出来上がるまで ⑦
試行錯誤から誕生させた「ヒット商品」と、
感謝の心から生まれる「高い接客力」で、
「行列のできる蕎麦店」を実現できました。
- 平沼 田中屋
主人 鈴木俊弘 氏 - 昭和27年、神奈川県横浜市生まれ。大正9年に祖父が創業した蕎麦店「平沼田中屋」の3代目主人。34歳の頃、出前と店売りという営業スタイルの蕎麦店から、店売り一本の蕎麦料理店へと、大胆な業態転換に挑戦する。その後、長年の試行錯誤から生まれた「きざみ鴨せいろ」が大ヒット商品となり、口コミで評判に。蕎麦に対する情熱と、お客様視点による接客で、恵まれた立地とはいえな裏横浜で行列のできる繁盛店を実現した。著書に「淋しい商店街のそば屋が、どうして行列店をつくれたか」(旭屋出版)がある。
Part1 大ヒット商品「きざみ鴨せいろ」誕生秘話
食べ歩きと試行錯誤から生み出した「きざみ鴨せいろ」、
一人のお客様のクレームと応援がヒット商品の契機に。
──34歳の時、出前をやめるという大胆な業態転換に挑戦されました。その時の話から聞かせてください。
- 鈴木
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祖父が創業した平沼田中屋は、私で3代目となります。小学校3年頃から店を手伝い、中学時代には自転車で出前を手伝うなどしていました。高校1年の時に先代の父が亡くなり、卒業後は母を手伝う形で店に入りました。26歳で結婚し、一男一女を授かった。それは何一つ不自由のない、ごく自然な人生の選択でした。
あれは32歳の頃のことでしょうか。ある日、他の蕎麦屋の高齢の店主が原付バイクで出前をする姿を見たのです。厳しい表情で運転する姿に、自分の30年後を見た思いがしました。直感的に「嫌だ」と思いました。そして「お客様に来てもらえる繁盛店を作りたい」と強く心に決めました。
34歳の時に社長になり、銀行から借入れをして現在の店舗を新築しました。そして出前をやめて店売り一本に絞った。しかしその後は、たいへんな苦労が待っていました。出前の売上がなくなった上に、お店にお客様が来てくれないのです。借入れの返済に汲々とする日々が続きました。
どうしたらお客様に来ていただけるのか、真剣に悩みました。他店を食べ歩き、四六時中考え続けました。そして平沼田中屋でしか食べられない「オリジナルメニュー」が不可欠だという結論に至りました。有名店のメニューを真似し、何かのヒントを見つけようと必死でした。そして業態転換から6年目に、ようやく「きざみ鴨せいろ」にたどり着いたのです。
- 平沼田中屋の看板メニュー「きざみ鴨せいろ」。鴨のうま味を気軽に味わえる逸品。汁と蕎麦が一体になった濃厚な味わいは、驚きと深い余韻を残します。
──のちに平沼田中屋を行列店にした、大ヒット商品ですね。どのような着想から生まれたのでしょうか。
- 鈴木
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鴨のうま味は、実は「脂」のうま味なのです。通常は破棄していた羽の部分の肉もていねいに削ぎ落とし、鴨の赤身と脂を小さく刻んで使うようにしました。これを特製のタレで一煮立ちさせて汁を作りました。
汁を入れる器にも工夫を凝らしました。通常の蕎麦猪口ではなく、小さな湯飲み茶碗の口を絞った形の平沼田中屋特注の器を作りました。この器に汁を入れると、脂と汁が分離して脂の層を厚くでき、冷めにくくなります。鴨の脂のうま味を熱々のままで味わっていただくために、特注品にしたわけです。
「きざみ鴨せいろ」発売初日のことです。一番最初にご注文をいただいたお客様が、出された品を見て、突然怒り出したのです。「なんだ、これは! 器が熱すぎて持てない。それに汁が並々と入っているので、蕎麦を入れるとこぼれてしまうではないか!」というわけです。
- 「きざみ鴨せいろ」の汁。下ごしらえされた鴨肉の団子を一煮立ちさせれば完成です。
私はていねいにご説明しました。「鴨の脂を熱々で召し上がっていただくための工夫です。蕎麦を2〜3本、汁に付けて食べてみてください。美味しいですよ」。
そのお客様はお帰りになる時に、暖簾越しの厨房に向かって「旨かったよ! また明日来るよ!」と言ってくださしました。その声を聞いて、私は目が潤んでしまいました。ああ、念願のオリジナルメニューがやっと開発できたのだと思いました。そのお客様は翌日も3人で来店され、「きざみ鴨せいろ」を注文されました。
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