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  1. 最適厨房ホーム
  2. オーナーシェフに聞く「独立開業への道」
  3. 徹底インタビュー/私のお店が出来上がるまで (3)

徹底インタビュー/私のお店が出来上がるまで (3) ─ 地元(地方)でお店を持つためには、 地元のお客様のニーズに合わせた しっかりとした事業計画を作ることが重要です。

創作西洋料理店 restaurant Ryu
オーナーシェフ 小倉龍介氏
辻調理師専門学校卒業後、「ハウステンボスホテル」勤務。その後渡仏し、「ジルGill」にて研修。帰国後「ホテルグランヴィア大阪」勤務。コンクールにも積極的に挑戦し、「2000年FFCCフランス料理コンクール」で優勝、「2006年日経レストランメニューグランプリ」でグランプリなど、多数のコンクールで受賞。2006年地元である三重県に、「ちょっとリッチな創作西洋料理店 restaurant Ryu」をオープン。

Part1. 独立開業までの経緯

小さい頃からホテルの料理長に憧れ。
渡仏の経験も活かし、コンクルールで多数受賞。

──小倉シェフが、フランス料理の世界に入ったきっかけを教えてください。

小倉

私は三重県の伊勢で育ちました。三重県で有名なホテルといえば「志摩観光ホテル」で、そこの高橋料理長に憧れており、小学校の時から「調理師になる!」と決めていました。高校も将来簿記も必要かなと思って商業学校に入り、卒業後は辻調理師学校に入学しました。就職先は志摩観光ホテルを希望していましたが、その年は求人がなく、学校の先生から長崎の「ハウステンボスホテル」を紹介されたのです。それがフランス料理との出会いでした。

──その後、渡仏され修行されていますが、どんな経験をされましたか。

小倉

私も、フランスでしっかりと修行したいという夢がありました。しかし、実際に「ジルGill」さんで研修してわかったことは、短期間では何もさせてもらえないということです。10年くらい働けば自分のポジションは与えられると思いますが、私の考えが少し甘かったと思います。

また、修行中に自分の技術を磨きたいという思いがあったのですが、食材が違いすぎました。フランス料理は当然フランスの食材で作られています。「この食材は、どうしたら美味しくなるか」を、フランス料理のシェフたちは真剣に考えているのです。そんな本場の料理文化に接して、「現地の食材があるからこそ、フランス料理があるんだ」と実感しました。

私は最終的には日本で、それも実家のある三重県で勝負したかったので、フランス修行は食べ歩きが中心となりました。

──帰国後は、数々のコンクルールで多数受賞されていますね。

小倉

はい。フランスから帰国して「ホテルグランヴィア大阪」に入った理由も、コンクールに力を入れていたからです。辻調理師専門学校の先生からも「ロブションさんが、有名になりたかったらコンクールを荒らせと言っていた」という話を聞いており、コンクールで受賞することで自分のブランドを確立しようと今まで頑張ってきました。

フランス料理文化センターのコンクールでも優勝させていただきました。また、フランス料理だけではなく、何でも作れる料理人になりたくて「日経レストラン」のコンクールにも応募し、グランプリをいただきました。先日は地元の伊勢で「どんぶりコンテスト」という企画があり、全国から380 通の応募があったなかで優勝しました。その時地元の人から電話がいっぱいかかってきて、「あんたは何でも作れるんやな」と言ってもらったのです。その言葉もすごく嬉しかったですね。でも、フレンチのコンクールは40歳くらいまでにもう一つは取りたいなと思っており、まだチャレンジ中です。

──具体的に独立を考えたのは、いつ頃からでしょうか。

小倉

小さい頃から30歳で独立する夢を持っていました。30歳を過ぎてから人の下で働くのはいやだなと考えていたのですが、タイミングよく「日経レストラン」でグランプリを受賞できたわけです。実はその前年にも準グランプリを受賞していました。その頃、当時の勤務先でちょっとしたもめ事があり、中途採用の自分は将来的に総料理長にはなれないという思いもあって、独立を考え始めました。そして、その翌年にグランプリをいただいたわけですが、「これは今がチャンスだ」と思ったのです。人生には重大な分かれ道があると思いますが、今がその時だと思い、優勝賞金100 万円を頭金にして独立を決意しました。29歳の時でした。

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