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徹底インタビュー/私のお店が出来上がるまで (5) ─ 地元に根付いた息の長いお店にしたい。いつも真摯にお客さまと向かい合いたい。その姿勢を常に持ち持ち続けたいと思います。

ビストロ天下井(あまがい)」
オーナーシェフ 天下井廉人氏
テレビに出演していた三國清三シェフを偶然見て、フランス料理を志す。大学時代4年間、実家がある板橋区のフランス料理店でサービスのアルバイトをし、また大学卒業後は1年間バーテンダーを経験。その後、フランス料理文化センターの「現代フランス料理上級コース」へ参加し、フランス現地研修へ。帰国後、数店舗での修業を経て、2011年1月5日、オーナーシェフとして荻窪に「ビストロ天下井(あまがい)」をオープン。

Part1. フランス料理との出会い、独立までの経緯

フランスでの修業と出会いが、人生の転機に。
「サービスもできる料理人」の強みをいかして独立。

──天下井シェフが、フランス料理を志したのは何故でしょうか。

天下井

偶然テレビで、三國清三シェフを拝見したからです。もともと料理には興味がありました。でも大学は法学部に進み、3年生の時にはダブルスクールで宅建と行政書士の資格をとりまして、法律の道に進もうかと思っていました。でもやはり、自分の人生は一度しかない。やりたい飲食業をやろうと考え、卒業後は1年間バーテンダーを経験しました。

その後、「タイユバン・ロブション」でサービスを担当し、そこのシェフからあるビストロを紹介していただき、26歳の時に料理人としてはじめて包丁を持ちました。いつかはフランスに行きたいと思ってはいたのですが、技術もないし語学もできず、踏み切るだけの勇気はありませんでした。

32歳の頃、もう決断しないと一生できないだろうと思い、当時雑誌でよく見ていたフランス料理文化センター(FFCC)の「現代フランス料理上級コース」に応募したのです。

──そこから、フランス料理の本格的な修業が始まったのですね。

天下井

はい。FFCCの上級コースは、まず国内で基本を学んだ後、パリのフェランディ校で最高水準の指導を受けます。その後、フランス国内のレストランで研修することになります。

渡仏前にFFCCの大沢事務局長が、「あなたはここに行ったほうがよい」と言って、私の目の前でボルドーの近くのアジャンという町にある「マリオッタ」という1つ星のレストランに電話をしてくださいました。当時の私は、有名になりたいとか、三つ星で働きたいとか、そんなことばかり考えていたのですが、それは間違いだった。言葉の壁や技術の水準などをふまえ、事務局長が適切な研修先を選んでくれたのです。

その後、数店での研修を経てパリに出て、吉野建シェフの「ステラマリス」に志願しました。たまたまお勧めコースを食べた時に、「あっ、自分はこれを作りたい!」と思ったのです。吉野シェフにお願いし、働かせてもらうことになりました。

FFCCでの海外研修は1年間ですが、1年で帰る気はありませんでした。決意を固めていましたので、帰りの便のチケットは破り捨ててしまった。結局約3年間、フランスにいました。本格的なフランス料理を経験し、そして吉野シェフに出会ったことが、私の人生の大きな転機となりました。

──帰国された後も、日本でさらに修業をされています。特に、シェフでありながら、いくつかのお店でサービスも担当されている。サービスもできる料理人というのは、非常に珍しいですね。

天下井

オーナーとして独立する場合、料理人はサービスマンを探すのに苦労します。またオーナーソムリエが独立開業する時にはシェフを探すのに苦労します。私の場合、料理のサービスの両方の人脈を築けていることが特長なのではないかと思います。忙しい時に、キッチンでもサービスでも、手伝いに来てくれるスタッフがいるのは、やはり強みですね。

独立は、40歳までにしたいと思っていました。私の奥さんも独立心が非常に強く、それなら一緒にやろうということになりました。不安がなかったわけではありませんが、後輩たちに勇気を与えなければいけない立場だと思っていましたので、いつも「大丈夫!」と言っていましたね。

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